秋華賞とエリザベス女王杯を勝ち牝馬に敵なしを見せつけました
目次
ファインモーションの基本情報
馬名 |
ファインモーション |
生年月日 |
1999年1月27日 |
父 |
デインヒル |
母 |
Cocotte |
戦績 |
15戦8勝 |
主な勝ち鞍 |
’02秋華賞(G1)
’02エリザベス女王杯(G1) |
調教師 |
伊藤雄二 |
騎手 |
武豊 |
馬主 |
伏木田達男 |
生産者 |
バロンズタウン スタッド&オーペンデール |
その体に搭載されたサラブレッドとしてのエンジンは牝馬の域を遥かに超えていたわ。
男勝りの勝気な気性。
引くだけ引いて放たれた弓と言う名のスピードは、瞬く間にゴールへと向かって行くのよ。
名調教師・伊藤雄二がフランスに目標を置いたほどのポテンシャルを持った馬。
兄は97年のジャパンカップを制したピルサドスキー。持って生まれた血は日本に留まるレベルでは無かったわ。
寧ろ、ヨーロッパで走らせられるほどの血を持った馬だったのよ。
そんな血統背景に魅せられた、北海道にある伏木田牧場場長の伏木田達男が繁殖牝馬として購入し日本にやってきたの。だけど、伏木田は競走馬としては走らせる気は無かったわ。
でも結局、調教師の伊藤雄二の目にとまりデビューが決まったの。
デビュー戦は12月1日の新馬戦。鞍上には武豊を配して臨んだわ。
その血統背景などもあり、単勝は一時期1.0倍まで行くほどの支持を集めていたの。(最終的には1.1倍)
兄のピルサドスキーは最後の末脚が持ち味だったけど、妹のファインモーションは絶対的なスピードが長所だったわ。スタートを切るや否やハナに立ってレースを作っていったの。
圧倒的な人気馬が自ら目標になるようなレースの形を選んでいったわ。
1000m通過が64.7と明らかなスローペース。
後続もすぐ後ろにいるような流れだったわ。
4コーナーを前に後ろの馬がファインモーションを目掛けて迫って来たんだけど、ファインモーションはそんな事お構いなし。
直線で追い出した途端、エンジンに火が付いたわ。
そのまま上り34.0の末脚で4馬身もの差を付けて勝利。
噂に違わぬ勝利だったわね。
だけど、ファインモーションには一つ超えることの出来ない大きな壁があったわ。それは、“外国産馬のクラシック出走不可”というものだったの。
たらればにはなってしまうけど、桜花賞とオークスも走っていれば間違いなく勝ち負けになっていたでしょうね。
そんな閉鎖的な制度によりクラシック出走を阻まれたファインモーションは、 日本のオークスではなくフランスオークスを目指すプランが持ち上がったの。
だけど、この春は休養に充て夏の函館から復帰を果たしたわ。
半年以上の休みを経てファインモーションは、8月の函館の500万で復帰をしたわ。長期休み明け、初の古馬との混合戦などもあったけど結果は楽勝だったの。
続く、札幌の準オープンの阿寒湖特別も圧勝し秋華賞トライアルのローズステークスへ進んだわ。
もはや、敵などいなかったわね。春にクラシックを賑わした馬たちを、ほとんど手綱を動かすことなく蹴散らしたの。
秋華賞の勝ち馬は決まった!
そんな空気さえ流れていたわ。
それから、秋華賞に進んだファインモーションをファンは1.1倍で迎えたわ。これが、答えだったわね。
恐らく春のクラシックに出ていても同じ答えだったでしょうね。
ゲートが開きあっという間に先団に取り付いたわ。だけど、この時からやや引っ掛かる素振りを見せるようにはなっていたわ。
終始5・6番手でレースを進めていき、4コーナー手前で一気に加速して上がって行くファインモーション。
武豊が追い出しにかかると、瞬く間に差を広げ3馬身半の完勝だったわ。
おまけに勝ちタイムは1:58.1のタイレコードだったの。
もう同年代の牝馬に敵う馬など存在しなかったわ。向かう先は古馬との戦い。
そこしかなかったのよ。
2002年11月10日京都競馬場で第27回エリザベス女王杯が行われたわ。ここまで無敗の5連勝で挑んできたファインモーションだったけど、この馬には古馬の壁さえ低く見えていたでしょうね。
1.2倍のダントツ人気と、ここでもファンの信頼は揺るぎないものだったわ。
大外枠からスタートすると、スピードに任せて3番手でレースを進めていったわ。なんとも気持ちよさそうな走りだったわね。
3コーナーの坂を下り4コーナー手前から一気に仕掛けた武豊。
ファインモーションは仕掛けられてからの反応が抜群だったわ。
4角先頭で直線を向いてからは、上り33.2で2着のダイヤモンドビコーに2馬身半の差を付けて勝利を収めたわ。
この時点での搭載されているエンジンの馬力が違っていたの。
そして、この勝利は日本競馬史上で初の無敗の3歳馬による古馬G1制覇という偉業が達成された瞬間だったわ。未だこの大偉業を達成したのはファインモーションしかいないのよ。
歴史に名を刻んだファインモーション。この時点で僅か6戦。
それでもこれだけインパクトを残せたこの馬は、この先どうなっていくのだろうというのが注目されていたわ。
そんな歴史に名を刻んだ名馬が次に選んだのは、暮れの総決算有馬記念よ。この馬なら歴史の扉は開けられると思ったわ。
だけど、開いた扉の向こうには待ち受けるはずのない試練や苦悩が待ち受けていたわ。
2002年12月22日の中山競馬場で第47回有馬記念が行われたの。ファインモーションは単勝2.6倍の1番人気。
ファンは怪物牝馬をこの舞台で栄えある1番人気に支持をしたわ。
そう、この馬ならこの高い壁も超えられると思っていたの。
ゲートが開き、タップダンスシチーがハナに立ったわ。その後ろにファインモーションがいたの。
最初のメインスタンドに来たとき、ファンの大歓声にファインモーションの持っていたエンジンに火が付いてしまったのよ。
1コーナーを前にハナに立ち自分でペースを作って行こうと思った矢先、 2番手にいたタップダンスシチーがファインモーションを抜いて再びハナに立ってしまったわ。
これまで、非の打ち所がない競馬で勝ってきた3歳の牝馬にとってはこの展開は厳しい以外の何物でもなかったわ。
この時点でもう余力など残っておらず5着に入るのが精一杯だったのよ。
この有馬記念を境に、ファインモーションは勝気な女性へと徐々に変化をしていったの。
翌年、ファインモーションは夏のクイーンステークスから始動したわ。古馬になっても牝馬戦なら負けるはずがないと思われていたけど、結果は逃げたオースミハルカを捉えきれず2着。
まさかの敗戦だったわ…。
夏はこの1戦で秋は東京の毎日王冠から天皇賞(秋)を目指すプランだったわ。曇り空の東京競馬場。
ここでも、単勝は1.3倍の1番人気。
前走、牝馬に負けたとはいえ評価が下がるわけではなかったわ。
スタート後、スンナリハナに立ってしまったの。それも、口を割りながら走っていたわ。
折り合いを欠いてるようには見えなかったけど、ムキになって走っていたのは間違いないわね。
その結果、最後は失速し7着の大敗。
馬の機嫌を損ねるともはや収集がつかなくなってしまっていたわ。
次走は距離を1ハロン短くしマイルチャンピオンシップに向かい、デュランダルの末脚に屈するも2着を確保。何とか面目は保ったわね。
年内最後には、牝馬限定戦の阪神牝馬ステークスになったわ。ここは、ダントツ人気の応えて勝利。
翌年は半年以上の休みを挟んで安田記念に出走。だけど、ここでも久々のせいか折り合いを欠いてしまい13着と惨敗だったわ。
この頃のファインモーションは休み明けでは極端に気性が勝ってしまい、レースを使っていくうちにガスが抜けていくような感じだったわね。
その後の函館記念を2着になったあと、札幌記念に向かったわ。頭数は11頭と多い方では無かったわね。
ゲートが開き武豊とファインモーションは殿からレースを進めたわ。
3歳時は先行力が武器だった馬が完全にシフトチェンジをしたの。
そして、休み明け3戦目という事もありしっかり折り合っていたわ。
4コーナー手前で先団を射程圏に入れると、最後は粘るバランスオブゲームをクビ差捉えてゴール。
今までのイメージを一変させる会心の勝利だったわね。
そこから休みを挟み再びマイルチャンピオンシップに出走したの。道中、武豊が我慢をさせるも札幌記念ほど折り合っているようには見えず、最後は伸びを欠き9着。
これが最後のレースとなったわ。
オーナーの伏木田達男がファインモーションを購入した最大の理由は、繁殖牝馬としての活躍だったわ。サンデーサイレンスが亡くなって、最初に配合相手に選ばれたのはキングカメハメハだったの。
が、結果は不受胎。
だけど、ファインモーションは少し話が違っていたわ。その後、いくら種付けをしてもファインモーションの体に子供が宿る事は無かったのよ。
検査の結果、医学的に受胎が不可能な体であることが判明したわ。
繁殖牝馬として購入をしたけれど、本来の目的は果たされることはなかったの。
あの類まれなスピードを持った遺伝子を後世に残せないのが残念でならないわ。だけど、ファインモーションがレースで見せた驚愕の走りは後世に語り継がれいていく事は間違いないわね。
武豊にエスコートされ輝きを放った気品に溢れたお嬢様。