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クロフネはジャパンカップダートで日本レコードを出しました

誰もがドバイワールドカップを夢見た黒船は屈腱炎でターフを去りました
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クロフネの基本情報

馬名 クロフネ
生年月日 1998年3月31日
フレンチデピュティ
ブルーアヴェニュー
戦績 10戦6勝
主な勝ち鞍 ’01NHKマイルカップ(G1)
’01ジャパンカップダート(G1)
調教師 松田国英
騎手 武豊
馬主 金子真人
生産者 ニコラス M.ロッツ

 

 

1853年にアメリカのペリーという人物が黒船を率いて日本にやってきたわ。

 

そして、1998年にアメリカで生まれ日本に持ち込まれた馬がいたわ。この馬がクラシックを走る2001年から外国産馬にクラシックが解放されたの。

 

それに伴い日本に来たこの馬にはこう名付けられたわ。

 

『クロフネ』

 

2000年の10月に京都でデビューしたクロフネ。直線で行き場を失くしてしまい、最後は詰め寄るも2着が精一杯だったわ。

 

そして、折り返しの新馬戦も京都が舞台。

 

ここは3番手からあっさり抜け出し2:00.7のレコード勝ち。

 

続く、500万のエリカ賞も2:01.2のレコードでここも快勝。

 

この時点では、この馬がクラシックに一番近いと言う評価を受けていたの。

 

だけど次走でその評価は一変してしまったわ。

 

ここ2戦をレコード勝ちしたクロフネが向かったのは、ラジオたんぱ杯3歳ステークスよ。クロフネはダントツ人気の1.4倍。

 

だけど、ここには後の皐月賞馬とダービー馬がいたわ。

 

スタート後好位の4番手から競馬を進めていくと、その後ろにジャングルポケットがいて、そのさらに後ろにアグネスタキオンがいたわ。

 

4コーナーを持ったまま上がっていったけど、その横にアグネスタキオンがおり、 直線であっという間に離されジャングルポケットにも差され3着になってしまったわ。

 

どこか走りに軽さが見受けられなかったの。

 

ここで皐月賞には見向きもせず矛先をまずはNHKマイルカップに定めたわ。その為に、クロフネは毎日杯に出走したのよ。

 

前走負けたとはいえ単勝は1.3倍。

 

その強さを疑う者などいなかったわ。

 

2番手から運んでいき、直線で追い出すと瞬く間に差を広げ5馬身差の圧勝。

 

その走りは実に雄大な走りになっていたわよ。

 

目標通り向かったのは第6回NHKマイルカップ。G1では異例の1.2倍ね。

 

これまで好位でレースをしていたクロフネが一転、このレースでは中団からレースを進めて行くのよ。

 

ややで負けしたクロフネは後方からレースを進めて行ったわ。逃げ馬が作ったペースは1000mを57.8のペース。

 

逃げ馬が粘る中、クロフネはまだ中団だったわ。

 

坂を上り残り数10メートルの所で逃げた馬を捕まえて見事G1制覇を飾ったのよ。

 

勝ちタイムは1:33.0。

 

その上りは、34.3と凄まじいものだったわ。

 

これで、次なる目標はダービー制覇だけ。

 

2001年5月27日第68回日本ダービー。アグネスタキオンが皐月賞後引退してしまい、ライバルは2歳の暮れに苦杯を舐めたジャングルポケットだったわ。

 

だけど、クロフネには距離不安も囁かれていたわ。

 

また、この日の馬場は重と決して良いコンディションではなかったの。

 

NHKマイルカップ同様に中団からレースを進めて行くクロフネ。ジャングルポケットはその後ろに位置取っていたわ。

 

直線を回り外目を回ってくるけれど、前走のような伸びを見せる事は出来なかったわ。結局は5着。

 

やはり、距離・馬場・枠と様々な不安要素が的中してしまったわね。

 

秋は距離適性を考え天皇賞への出走が決まっていたわ。その前哨戦として神戸新聞杯が選ばれたの。

 

上がり最速をマークするも3着。

 

だけど悲観するような内容ではなく、天皇賞に出れば当時最強と言われていたテイエムオペラオーとのレースが見れると誰もが思っていたわよ。

 

だけど、事態は急変したわ。この事態こそ、クロフネの運命を180℃変えたの。

 

この当時は天皇賞には外国産馬は2頭までしか出走できない規定があって、急遽アグネスデジタルの出走によりクロフネは除外が決まったの。そして、陣営は一大決心をしたわ。

 

“クロフネ武蔵野ステークス出走”天皇賞の前日に行われるダートの武蔵野ステークスに出走することが決まったのよ。

 

アメリカ血統であるこの馬はダート適性が無くは無かったけど、未知な部分でもあったわ。

 

2001年10月27日東京競馬場。この日訪れたファンは、ダート競馬に於いて一生忘れる事が出来ない驚愕のパフォーマンスを目の当たりにしたのよ。

 

スタート後は中団からレースを進めて行くクロフネ。砂を被らないように外を回っていったわ。

 

3コーナーを前にポジションを上げて行き、4コーナーを前に先頭に立ったのよ。

 

無理にポジションを上げている訳ではなく、馬の行きたいように武豊がエスコートをしていただけだったの。

 

直線を向き先頭に立っているクロフネは、軽く追い出すと差は見る見るうちに広がって行ったわ。

 

終わってみれば9馬身差の圧勝。

 

勝ちタイムダートにも関わらず1:33.3。

 

これはダート1600mの日本レコードだったわ。

 

芝のNHKマイルカップを勝ったときは1:33.0という驚愕のタイムでの勝利だったの。

 

ダートに大きな可能性を感じた陣営は、次走にジャパンカップダートを選んだわ。 

ここでもやや出負けしたクロフネは中団で1コーナーを回っていったの。

 

その時に武豊は砂が被らないのといつでも動けるように外にクロフネを持ち出したわ。

 

向こう正面に入ると少しづつポジションを上げていったの。3コーナーに入る前にはポジションを既に中団まで押し上げていて、大欅を過ぎたころにはもう先頭に躍り出ていたわ。

 

正に武蔵野ステークスの再現だったわね。

 

いや、それ以上かもしれないわ。

 

4コーナーでは2馬身ほどのリードを保って直線に入ったわ。そこからは差を付けるだけだった、後ろからの足音など聞こえなかったの。

 

聞こえるはずもなかったわ。

 

着差は7馬身。

 

勝ちタイムは2:05.9のまたもや日本レコードだったわ。

 

これは単なる勝利ではなかったのよ。

 

日本馬悲願の“ドバイワールドカップ制覇”を本気で予感させるものだったし、全ての人がこの“夢”をクロフネに託したわ。

 

そんな矢先、とんでもない知らせが日本中を駆け巡ったの。

 

“クロフネ。屈腱炎発症!引退”

 

クロフネに託した全ての夢と希望が泡に変わった瞬間だったわ。

 

外国産馬の門戸解放元年にアメリカから現れた1頭の芦毛馬。ダートで見せた2戦のパフォーマンスは世界を狙えたものだったし、その志半ばで引退してしまったのは残念だけど今でも伝説になっているわ。

 

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