ベガの基本情報
馬名 | ベガ |
生年月日 | 1990年3月8日~2006年8月16日 |
父 | トニービン |
母 | アンティックヴァリュー |
戦績 | 9戦4勝 |
主な勝ち鞍 | ’93桜花賞(G1) ’93オークス(G1) |
調教師 | 松田博資 |
騎手 | 武豊 |
馬主 | 吉田和子 |
生産者 | 社台ファーム早来 |
光り輝く空には数多の星が散りばめられているわ。
その中にこと座という星があり、そのなかで最も光輝いている星を“ベガ”と呼ぶの。
七夕の時期によく耳にする『織姫』のことね。
父は社台グループが期待をかけ購入した新種牡馬のトニービン。
母はノーザンダンサーの子供のアンティックヴァリュー。
社台グループ総帥の吉田善哉が目を付け輸入した牝馬だったわ。
生まれたベガにもその兆候は見られていたわ。
その内向たるや馬の成長とともに左前脚が曲がり始め、誰が見ても一目で分かるほどひどく曲がっていたのよ。
このひどい内向は競走馬として生まれたベガにとっては大きなハンデであり、競走馬としてデビュー出来るかさえも分からなかったわ。
競走馬としてデビュー出来る可能性は秘めていたの。
そして、栗東の松田博資厩舎へ入厩し本格的にデビューへ向けた準備が進められたわ。
この名前には「織姫のように光り輝いてほしい」という思いが込められていたのよ。
ここまで課せられた調教は実質1本であり、それでも2着になったことを陣営は悲観することはなく、むしろ期待が高まったのよ。
続く2戦目には武豊が手綱を取り、2番手からレースを進め2着に4馬身半の差を付けて勝利。
生まれながらに脚元にハンデを抱えていたけど、持っているポテンシャルは凄まじいものだったわ。
新馬戦を勝ったばかりにも関わらず1番人気に支持され、2着に3馬身差を付けての勝利。
一躍桜花賞候補に名乗り出たのよ。
調教師の松田は元々オークス向きと思っており桜花賞の1600mは短いと考えていたんだけど、それを振り払うような勝利だったわね。
ベガは堂々と1番人気での出走となったわ。
8番枠から好スタートを切り、早めの2番手からレースを進めて行ったの。
この時代の桜花賞と言えば、毎年のように“魔の桜花賞ペース”と呼ばれるくらいハイペースのレースが多かったわ。
だけど、この年は前半の半マイルが47.4と例年に比べれば落ち着いた流れであったのは間違いないわね。
特に引っ掛かるところもなくスムーズに3コーナーを曲がり、4コーナーの出口では既に先頭に立っていたわ。
そして、満を持して追い出しにかかり逃げ込みを図ろうとするところに、後方からユキノビジンが追いすがったの。
だけど、ベガがクビ差凌いだところがゴールだったわ。
目指すは2冠の達成だったわ。
桜花賞の走りから距離不安が懸念され、1番人気ではあったけど桜花賞よりも評価を下げ3.4倍という支持だったわ。
13番枠からスタートを切ったベガは、桜花賞よりは少し後ろ目の4番手でレースを進めていったの。
前には桜花賞で2着になったユキノビジンがいたわ。
前半1000m通過が60.6の平均ペースで流れていったのよ。
直線を向きベガが先頭に立つ。
ライバルのユキノビジンもベガ目掛けて追いすがる。
坂を上り残り200mを切ったところで、ユキノビジンを突き離しにかかり終わってみれば1馬身3/4の勝利。
着差以上に完勝だったわ。
そのため、エリザベス女王杯トライアルのローズステークスを回避せざるを得なくなり直行で向かったの。
やはり、中間に頓挫があったのは人気にも影響を及ぼしたわ。
桜花賞とオークスを完勝しているにも関わらず、1番人気はローズステークスを勝ったスターバレリーナに譲りベガは2番人気での出走になったの。
そのため、鞍上の武豊はベガをこれまでとは違い中団に待機をさせたのよ。
メジロラモーヌ以来の牝馬3冠にはならなかったわ。
ここには、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、トウカイテイオーなどが出走しており、トウカイテイオーの劇的な復活劇の裏で9着と敗れたの。
年が明け、大阪杯で9着、宝塚記念を13着と敗れて現役を引退し繁殖としての生活を始めたわ。
その初年度産駒として生まれたのは、1999年のダービー馬のアドマイヤベガだったわ。
その後は、ダートで無類の強さを放ったアドマイヤドンなどを5頭の産駒を残してこの世を去ったわ。
繁殖実績を考えれば残した産駒数は少ないわね。
だけどその血脈は確実に受け継がれ、最後に残したヒストリックスターという牝馬から、『ハープスター』が生まれたのよ。
ハープスターと言う名前こそが“ベガ”の別名なのね。
息子のアドマイヤベガも星になってしまった。