ウオッカの基本情報
馬名 | ウオッカ |
生年月日 | 2004年4月4日 |
引退 | 2010年3月4日マクトゥームチャレンジラウンド3(国際G1) |
父 | タニノギムレット |
母 | タニノシスター |
戦績 | 26戦10勝(10.5.3.8) |
調教師 | 角居勝彦 |
馬主 | 谷水雄三 |
産地 | 静内町(カントリー牧場) |
スランプを乗り越え2年連続で年度代表馬を受賞
2007年、牝馬による日本ダービー制覇という歴史的快挙を成し遂げたウオッカ。
「ダービー馬」という大きな看板を背負ったことで、これまで以上の注目を集めました。
この実績を称えるかのように、翌年には年度代表馬を受賞することになるのですが、実はその道のりは平たんではありませんでした。
ダービー制覇以降、なかなか勝ち星を挙げられなかったのです。
2008年に入っても、初戦の京都記念は6着。
海外戦に挑んだドバイデューティフリーでも4着と、ダービーを制覇したときの面影は消え去っていました。
長く深いスランプに陥った、ウオッカ。
ようやく復活の兆しが見え始めたのは、5月に入ってからでした。
ヴィクトリアマイルで2着と、約7ヶ月ぶりとなる馬券に絡む走りを見せたのです。
そして遂に、6月の安田記念で2着に3馬身をつける大差で圧勝。
日本ダービー以来となる、約1年ぶりの勝利を手にしました。
長いスランプから抜け出した瞬間でした。
さらに、天皇賞(秋)でウオッカは改めて強さを見せつけます。
出走する17頭すべてが重賞勝ち馬という、ハイレベルなメンバーが集まったレース。
そこには、同い年でライバルでもある牝馬ダイワスカーレットの姿もありました。
スタート直後、先頭に飛び出したダイワスカーレットをウオッカは中団で追走。
直線に入って並びかけますが、後ろからディープスカイも食らい付いてきて、ゴール前では壮絶な叩き合いが繰り広げられました。
ゴールはウオッカとダイワスカーレットがほぼ同時で、どちらが先頭だったかは肉眼では判別がつかないほどでした。
長い写真判定の結果、掲示板に1着と示されたのは14番。
ウオッカの馬番です。
2着ダイワスカーレットとの差は、わずか2cm。
ウオッカは天皇賞(秋)を制しました。
さらに、コースレコードも更新したのです。
この激戦は、競馬史に残る名勝負として一躍有名になりました。
天皇賞(秋)での活躍が評価され、2008年にウオッカは11年ぶりとなる牝馬の年度代表馬に選ばれたのでした。
年が明けて2009年。
ウオッカは、前年4着に終わって悔しい思いをしたドバイデューティフリーのリベンジに挑みます。
しかし、雪辱を晴らすどころか順位を落として7着と惨敗。
年度代表馬のプライドをもってしても、海外G1の初制覇は叶いませんでしたが、ウオッカはここで踏ん張りました。
日本へ戻ると、ドバイでの敗北が霞むような戦いぶりで、ヴィクトリアマイルと安田記念を連勝。
最強牝馬の称号にふさわしい存在であることを示しました。
そして11月、ウオッカは国内最終レースとなるジャパンカップに出走します。
昨年の菊花賞馬オウケンブルースリ、アメリカのブリーダーズカップターフを連覇したコンデュイットなど、G1勝ち馬が顔をそろえるなかで、ウオッカは堂々の1番人気に支持されます。
レースが始まると、ウオッカは中団で追走し脚を温存。
ラスト、坂の頂上で一気に抜け出しました。
そのままウオッカがゴールするかに見えましたが、そう甘くはありませんでした。
後ろからオウケンブルースリが、鋭い追い上げを見せてきたのです。
最後は2頭並んでのゴールとなり、写真判定へもつれこみました。
その結果、1着の座を手にしたのはウオッカ。
見事、オウケンブルースとの激闘を制したのです。
天皇賞(秋)を思わせる、2度目の写真判定勝ちでした。
日本の牝馬がジャパンカップを制覇したのは史上初。
歴史的な快挙を成し遂げた瞬間でもありました。
その年3つのG1を制覇したウオッカは、前年に続き2009年度の年度代表馬を受賞。
牝馬の2連続受賞もまた、史上初のことでした。