フジキセキの基本情報
馬名 | フジキセキ |
生年月日 | 1992年4月15日 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ミルレーサー |
戦績 | 4戦4勝 |
主な勝ち鞍 | ’94朝日杯3歳ステークス(G1) |
調教師 | 渡辺司 |
騎手 | 角田晃一 |
馬主 | 斎藤四方司 |
生産者 | 社台ファーム千歳 |
92年に生まれたサラブレッドの中に父親の名前が“サンデーサイレンス” と表記されている馬が多くいたわ。
社台グループ総帥の吉田善哉が是が非でも欲しかった種牡馬よ。
そう、1992年に生を受けたサンデーサイレンスの血を継ぐものたちは、この後日本の血統図を塗り替えるほどの活躍を見せた父親の最初の産駒なの。
その時点での評価は、他の産駒たちを圧倒するもので1番の期待馬に挙げられていたわね。
『フジキセキ』よ。
だけど、調教などの動きから調教師の渡辺は期待を抱いていたわ。
1994年8月20日
新潟競馬場の新馬戦で鞍上には蛯名正義を配したわ。
距離は1200mでスタートでフジキセキは煽ってしまったの。
短距離戦での出遅れは致命傷よね。
そのまま後方からレースを進めて行き、4コーナでは3番手まで上がっていたわ。
そのまま直線で追い出すと、見る見るうちに差をつけて8馬身差の快勝。
その能力に疑う余地などなかったわ。
ここには後のダービー馬のタヤスツヨシも出走していたんだけど、フジキセキは単勝1.2倍で迎えたわ。
五分にスタートを切ったフジキセキは、そのまま中団からレースを進めていったわ。
4コーナーにかけて馬なりで上がっていき、直線では先頭に立っていたの。
手応えは抜群。
その後ろにいたタヤスツヨシが必死に追っているにもかかわらず、鞍上の角田晃一は軽く仕掛けただけだったわね。
ムチなんて不要。
そんなアクションに応えた後のダービー馬を子供扱いしたのよ。
3歳王者どころか、その先のダービーまでさえ道が見えているようであったわ。
フジキセキは当然の如くこのレースに出走してきたわ。
当たり前の1番人気。
そろった頭数は10頭とG1では多くはなかったわね。
幾分引っかかっているようにも見えたわね。
そのまま直線を向き最内を突いて伸びてきたの。
大外からスキーキャプテンが迫ってきたけど、クビ差凌いでのゴール。
苦戦したように見えたけど、ムチを1発も使うことなくの勝利に鞍上の角田晃一もこの馬の能力に脱帽したわ。
「とにかくモノが違う!!」
その言葉がこの馬の強さを物語っていたのかもしれないわね。
次なる目標はもちろんクラシック制覇であり3冠への挑戦だったわ。
この弥生賞こそが、フジキセキが志半ばでターフを去り伝説と化すレースなのね。
9番枠からスタートすると、そのまま馬の気に任せて2番手からのレースを選択したわ。
前半1000m通過が62.5というスローペース。
そのペースの中、フジキセキは3コーナー過ぎから早々と進出し直線では先頭に立ったわ。
坂下で一旦ホッカイルソーに迫られるが再び加速し、そこから2馬身半離してゴール。
この勝ち方はもはや異次元といっても過言ではなかったわね。
もうこの時点でフジキセキの力はクラシック級であり、その器を遥かに超えていたのかもしれないわ。
そのとてつもない強さに嫉妬したのね。
こんなニュースが急に舞い込んできたわ。
たらればではあるけど、もしフジキセキが出ていればと思ってしまうわ。
なのよ。