カネヒキリの基本情報
馬名 | カネヒキリ |
生年月日 | 2002年2月16日~2016年5月27日 |
父 | フジキセキ |
母 | ライフアウトゼア |
戦績 | 23戦12勝 |
主な勝ち鞍 | ’05ジャパンダートダービー(G1) ’05ダービーグランプリ(G1) ’05’08ジャパンカップダート(G1) ’06フェブラリーS(G1) ’08東京大賞典(G1) ’09川崎記念(G1) |
調教師 | 角居勝彦 |
騎手 | 武豊・C.ルメール |
馬主 | 金子真人ホールディングス |
生産者 | ノーザンファーム |
オーナー金子真人と騎手武豊で2005年といえば、「英雄」と呼ばれたディープインパクトで3冠を獲得した年ね。 しかし、同じコンビでダート戦線において同じように快進撃を続けていた馬がいたのよ。
結果は4着、次の小倉の未勝利戦の芝でも結果は11着といいところはなかったわね。
そこで陣営は矛先を芝からダートに変えたわ。
その初戦、京都のダート1800m戦でカネヒキリの評価は単勝59.5倍の9番人気の評価だったのよ。
外枠からスンナリと先団に取り付き2番手からレースを進めていったわ。
直線の入り口で早々と先頭に立つと、そこからは後続を離すだけ離し7馬身差の圧勝だったの。
続く500万下でもダートで走ったカネヒキリは、ここでも2番手からレースを進めていき4コーナーではすでに先頭に立ったわ。
直線を向くと、前走同様の走りを見せ大差の勝利。
デビューから芝では結果が残せなかったけど、ダートでのパフォーマンスは圧倒的なものだったわ。
ここで好走することが出来れば皐月賞に向かうことが出来るからよ。
選択したレースは阪神での毎日杯だったわ。
この敗戦を機に今後はダート路線一本に絞っていくようね。
すでに、ダートでの強さを発揮していたカネヒキリは1.2倍の指示で出走。
好位からレースを進めると直線の入り口では先頭に立ち、終わってみれば9馬身差の大勝。
もはや同世代にダートでは敵はいないわね。
ここからカネヒキリの快進撃が始まり『砂のディープインパクト』と呼ばれる所以となったの。
ここを単勝1.1倍に応えて勝利、次に向かったのは大井で行われる交流G1のジャパンダートダービーだったわね。
初めての地方のダート、初めてのナイターなどアラを探せばいくらでもあったわ。
しかし、そんなことはカネヒキリには何も関係なかったのよ。
先行勢を見ながらレースを進めていき、4コーナーでは先頭に立ちそこからは独断場だったわ。
そのディープインパクトにちなんで、この頃からカネヒキリは『砂のディープインパクト』と呼ばれるようになっていたわ。
だけど、この馬の快進撃はこんなものではなかったのよ。
G1連勝を飾ったの。
次にカネヒキリが挑んでいくのは古馬の壁。
これを突破してこそ、その先に世界が見えてくるのよね。
初めての古馬でもファンの支持は一切変わらなかったわ。
単勝は1.3倍の人気。
いつもは先行するカネヒキリだけど、このレースでは後方からの競馬になったわ。
やはり、芝のスタートが影響なのかしらね。
最後は、先に抜けたサンライズバッカスを捕まえることが出来ずに2着になり、無敗を誇ったダートでの初めての敗戦となったわ。
しかし、斤量は勝ち馬よりもカネヒキリの方が3キロ重かったことを考えれば古馬相手でも戦える目処は経ったわ。
2005年11月26日第6回ジャパンカップダート。
日本ダート界の総大将として世界を迎え撃つ形となったカネヒキリをファンは1番人気で後押しをしたわ。
スタートを切ったカネヒキリは中団からレースを進めていったの。
直線で大外に持ち出し、日本馬による叩き合いが演じられたわ。
内にスターキングマン。
中にシーキングザダイヤ。
外にカネヒキリ。
わずかにカネヒキリのハナが出たところがゴールね。
この勝利を機にドバイワールドカップに出走したのよ。
しかし、この馬をもってしても世界の壁をこじ開けることは出来なかったわ。
その後、マイルチャンピオンシップ南部杯を目指し調整を進めていたけど、ここで悲劇がカネヒキリを襲う…
ここから、長い闘病生活が始まったの。
しかし、その後にとてつもない結果が待っていることはまだ誰も知らないわ…
だけど、なぜでしょうね…
カネヒキリは再び屈腱炎を発症してしまったの。
そこからまた1年の休養を挟み、2008年の11月の武蔵野ステークスで復帰したわ。
この結果は仕方なかったけど、無事に走れたことが何よりだったわ。
今年から舞台を阪神に移したジャパンカップダートに出走してきたわ。
二度の屈腱炎での長期休養開けでありながら、4番人気の評価を受けたわ。
鞍上は骨折休養中の武豊ん変わりフランス人騎手のクリストフ・ルメールが手綱を取ったわ。
いつも通りの先行策でレースを進めていったわ。
4コーナーを回り直線でルメールは内を選んだの。
カネヒキリの前にはぽっかりとスペースが空いていたわ。
そのまま押し切り、メイショウトウコンとヴァーミリアンが迫るがアタマ差凌いでのゴール。
二度の屈腱炎という大病から見事復活した瞬間だったわね。
それはまさに『奇跡』と呼ぶに相応しいことだったわ。
川崎記念の後はフェブラリーステークスに出走し3着、5月のかしわ記念では2着になったけど今度は骨折が判明し三度休養に入ったわ。
結果は2着。
続くマーキュリーカップを勝ち、門別のブリーダーズゴールドカップで2着に入ったわ。
その後、再び屈腱炎を発症し引退が決まったの。
なぜここまで苦しまなければならなかったのかしら。
不屈の精神力で何度も地獄から這い上がってきた馬