アグネスタキオンの基本情報
馬名 | アグネスタキオン |
生年月日 | 1998年4月13日~2009年6月22日 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | アグネスフローラ |
戦績 | 4戦4勝 |
主な勝ち鞍 | ’01皐月賞(G1) |
調教師 | 長浜博之 |
騎手 | 河内洋 |
馬主 | 渡辺孝男 |
生産者 | 社台ファーム |
馬名に記されている「タキオン」とは「超光速の粒子」という意味があるのよ。
要するに「速い」ということね。
名前の通り「速い馬だった」わ。
スピードも現役馬としてもね…。
たった4戦にも関わらず見ている全ての人に衝撃をもたらし、あらゆる可能性を示した馬。
フジキセキ以来の“幻の3冠馬”と言われた馬。
それこそ
『アグネスタキオン』
兄には2000年にダービーを制したアグネスフライト。
そんな兄をも超える存在と言わしめたのが1歳時のアグネスタキオンだったのよ。
栗東の長浜厩舎に入厩したアグネスタキオンはデビューは2000年12月の阪神の2000mだったわ。
暮れの阪神1週目の新馬戦は良血馬が集まる地と言われており、アグネスタキオンよりも評価の高い馬は2頭いたわ。
だけど、そんな評価をアグネスタキオンは自身の走りで覆したの。
10頭たての7番手からレースは進んでいったわ。
残り600mから動き出し4コーナーでは先頭に躍り出る勢い。
そして、そのまま上がり33.8の末脚で一気に先頭にたち後続に3馬身半の差をつけて勝利したわ。
勝ちタイムこそ2:04.3と平凡だったけど、その勝ち方は度肝を抜くものだったわ。
そして、アグネスタキオンの名を一気に世間に広めることとなるのが次走のラジオたんぱ杯3歳ステークスだったの。
2000年12月23日第17回ラジオたんぱ杯3歳ステークス。
世代屈指の好メンバーとなったわ。
後のNHKマイルカップとジャパンカップダートを勝つクロフネ。
この後、無敗で皐月賞を制するアグネスタキオン。
さらに、翌年のダービー馬のジャングルポケットの3強だったわ。
その後にジャングルポケットがおり、アグネスタキオンはその2頭を見る形となったわ。
残り600mを過ぎたあたりからアグネスタキオンが一気に前との差を詰めていったの。
それは、瞬間移動かと思うほどの速さだったわ。
後の2頭はなす術がなかったわね。
それほどまでにアグネスタキオンのレースっぷりは同世代のレベルを超えていたのよ。
この1戦を制したアグネスタキオンには、「3冠当確」の声さえ上がっていたわ。
その、3冠を目指すべく始動戦に選んだのは皐月賞トライアルの弥生賞だったの。
単勝1.2倍。
この馬からすれば妥当な評価だったわね。
しかし、この弥生賞がこの馬のサラブレッドとしての人生を狂わせたと言っても過言ではないわね。
前日から降り続けた雨のせいで当日の馬場は不良。
それでもアグネスタキオンは苦にすることなくいつも通り好位からレースを進めていったわ。
こんな類をみない泥んこ馬場でも終わってみれば5馬身差。
適正云々ではなく持っているポテンシャルが群を抜いていたのよ。
もう死角はないわ。
後は当日を迎えるだけだったわ。
2001年4月15日第61回皐月賞。
戦前の予想はジャングルポケットとの2強だったの。
そんな中でも単勝は1.3倍とダントツで抜けていたわ。
スタートでまずライバルのジャングルポケットが躓いてしまったのよ。
アグネスタキオンは5番手からレースを進めていったわ。
直線を向き坂下で先頭の躍り出たの。
そこからは他馬の追撃を凌ぎ1馬身半差で勝利。
結果は完勝に見えたのだが、一人だけ全く違う感覚を感じている男がいたわ。
「今日はピリッとしなかった」
鞍上の河内洋が感じた違和感だったわ。
これまで上がりで最速をマークした馬が上がりで3番目のタイムだったのよ。
百戦錬磨の騎手が感じた感覚は当たったわ。
『左前浅屈腱炎』
現役続行も視野入れられたのだが、結局は引退が決定したわ。
種牡馬としての活躍も目を見張るものがあり、数々のG1馬を世に排出したの。
今後も種牡馬として期待されていたけれど、2009年にこの世を去ることになったわ。
アグネスタキオンとは…
超高速でターフと生涯を走り抜けた光り輝く馬だったのよ。