エアシャカールの基本情報
馬名 | エアシャカール |
生年月日 | 1997年2月26日~2003年3月13日 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | アイドリームドアドリーム |
戦績 | 20戦4勝 |
主な勝ち鞍 | ’00皐月賞(G1) ’00菊花賞(G1) |
調教師 | 森秀行 |
騎手 | 武豊 |
馬主 | (株)ラッキーフィールド |
生産者 | 社台ファーム |
サンデーサイレンス産駒というのは総じて気性が悪いことで有名だったわ。
と言うか気性が悪い方が好成績を残したイメージさえあるわね。
そんな悪ガキ揃いのサンデーサイレンス産駒の中で群を抜いて気性が悪く、武豊に「頭を割って見てみたい」と言わせた馬がいたの。
栗東の森秀行厩舎に入厩したエアシャカールは、1999年10月の東京でデビュー戦を迎えたわ。
2番人気で5着となったけど、続く未勝利戦を勝利し、500万下で2着となり有馬記念の日に行われる オープンのホープフルステークスに向かったのよ。
ここを1番人気に支持され勝利。
一躍クラシック候補にまで名を連ねるようになったわ。
初戦には皐月賞トライアルの弥生賞が選ばれたけど、ここは素質馬のフサイチゼノンの2着。
だけど、権利は得たのでそのまま皐月賞に向かったのよ。
この年の牡馬クラシックは抜けた馬がおらず群雄割拠の様相を呈していたわ。
その中で1番人気はシンザン記念とスプリングステークスを勝ってここに挑んできたフジキセキ産駒のダイタクリーヴァ。
2番人気はエアシャカール。
3番人気にはラジオたんぱ杯3歳ステークスを制したラガーレグルスだったの。
1枠1番のラガーレグルスがゲートを出なかったのよ。
そのまま競争中止というどこか波乱の匂いがするスタートだったわ。
勝負所に差し掛かりエアシャカールが一気にまくってきたの。
ダイタクリーヴァが内から絶好の手応えで抜け出す。
エアシャカールは外から脚を伸ばしたけど、どこか鞍上の武豊は追いにくそうな仕草をしていたわ。
だけど、最後はキッチリとダイタクリーヴァを捉えまずは1冠。
まだまだ荒削りな面はあるけど、爆発力は魅力的なものはあったわ。
それは…
つまり3冠に挑戦できるのは最初の皐月賞を勝った馬のみだったわ。
エアシャカールはその権利を持って大舞台に向かったの。
3冠に向けて挑戦をしているエアシャカールと武豊。
そのコンビをファンは当然ながら1番人気にしたわ。
2番人気はダイタクリーヴァ。
3番人気はアグネスフライトとなったわ。
ゲートが開きエアシャカールは後方4番手から、ダイタクリーヴァは中団から、アグネスフライトは最後方からと 思い思いのポジションに付けたわ。
それに合わせてアグネスフライトも上がっていく。
エアシャカールは猛然と先頭に立ったわ。
だけど、気性の悪さからなのだろうか抜け出してから気を抜いてしまったようね。
それに気づいた武豊は再びエアシャカールにやる気を注入したの。
その間に後ろから、アグネスフライトと河内洋が飛んできたわ。
追い比べを始める兄弟弟子。
100mほどの叩き合いの末鼻面を並べてのゴール。
しかし、それをわかっている男がいたの。
アグネスフライトに騎乗していた河内洋よ。
ゴールの瞬間真っ先に拳を突き上げたわ。
着差はハナ差。その差わずか7cmだったわ。
キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに出走。
ここはモンジューに敗れ7頭立ての5着だったわ。
1.7倍の圧倒的人気であったが3着。
海外帰りなどを考えれば上々のスタートであったかもしれないわね。
2000年10月22日第61回菊花賞。
ここで武豊の天才的な騎乗が見られたわ。
ここがこのレースの勝負の分かれ目と言っても過言ではないわね。
前に馬を置きなだめるように折り合いに注意していたわ。
坂を下り先にアグネスフライトが仕掛ける。
エアシャカールと武豊は直線まで追い出しを我慢し、そのまま内に突っ込んだのよ。
ラチ沿いを抜け最後はトーホウシデンの猛追をクビ差凌ぎきり見事2冠達成。
と同時に、武豊の天才的な騎乗を見た瞬間だったわ。
結局エアシャカールは菊花賞以降1レースも勝てずに引退することとなったわ。
放牧中に暴れ出し骨折してしまいそのまま安楽死処分がとられることとなったのよ。
この世に残した産駒の数は僅か4頭。