怪我がなければクラシックでも大活躍したであろう実力馬です
目次
バブルガムフェローの基本情報
馬名 |
バブルガムフェロー |
生年月日 |
1993年4月11日~2010年4月26日 |
父 |
サンデーサイレンス |
母 |
バブルカンパニー |
戦績 |
13戦7勝 |
主な勝ち鞍 |
’95朝日杯3歳ステークス(G1)
’96天皇賞(秋)(G1) |
調教師 |
藤沢和雄 |
騎手 |
岡部幸雄 |
馬主 |
有限会社社台レースホース |
生産者 |
社台ファーム千歳 |
3歳馬が最も輝ける舞台に立つ資格を持っていたのに、立つことは出来なかったわ。
それは、この馬にとって挫折以外の何物でもなかったわね。
だけど、時に挫折は人も馬も変える力を持っているわ。
戦場を年上たちがひしめく舞台に移し、春に浴びるはずだったスポットライトを秋に浴びた馬。偉大な父が残した青いシャドーロールの優等生。
美浦の藤沢和雄厩舎に入厩したバブルガムフェローは、1995年の10月に東京でデビューを迎えたわ。1.3倍の人気ではあったが3着に敗れてしまい、その後の折り返しの新馬戦では1.2倍に応えて初勝利を飾ったの。
次に向かったのが、オープンの府中3歳ステークスだったわ。
ここを勝ちバブルガムフェローが次に向かったのは、3歳王者を決める朝日杯3歳ステークスよ。
1995年12月10日朝日杯3歳ステークス。1番人気に支持されたバブルガムフェローは4番枠からスタートすると、4番手の内からレースを進めていったわ。
4コーナーで先にエイシンガイモンが抜けたところを、残り100mで捉え3/4馬身抑えて勝利。
この年の最優秀3歳牡馬を受賞したわ。
3歳チャンピオンになったバブルガムフェローが先ず目指すのは皐月賞よ。その前哨戦としてスプリングステークスが選ばれたの。
3歳チャンピオンの皐月賞に向けた戦いということもあり、単勝は1.5倍のダントツ人気。2番枠からスタートしたバブルガムフェローは馬の気に任せて岡部幸雄はポジションを取ったわ。
ここ4戦よりは後方の位置取りになり道中は9番手だったの。
3コーナーで馬群はひと塊りになっていたんだけど、岡部は慌てないわ。
直線で外に進路を取り軽く追い出しただけで勝利よ。
皐月賞の主役になるのは間違いなかったわ。
だけど、名馬に怪我は付き物なのかしら…バブルガムフェローの夢を打ち砕く出来事が起こったわ…
これにより皐月賞とダービーの両方を自重せざるを得なくなったの。だけど、この挫折がこの馬を一回り成長させ秋には輝いたわ。
全治6ヶ月と診断されたバブルガムフェローだけど、回復が予想以上に早かったので秋は毎日王冠から復帰をしたわ。骨折の影響もあり3着と敗れたけれど、悲観する内容ではなかったわね。
そして、バブルガムフェローは古馬頂上決戦に3歳馬として向かったのよ。
1996年10月27日第114回天皇賞(秋)サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンの古馬3強に割って入ったバブルガムフェローは3番人気の評価でレースに挑んだわ。
当時のこの3強の過剰を崩すのは並大抵の能力では出来ないほど強力な相手だったの。
鞍上には主戦の岡部幸雄に代わって蛯名正義が手綱を取ったわ。
有力馬の中では1番内枠の4番枠からスタートを切ったバブルガムフェローは3番手からレースを進めていったの。マヤノトップガンは5番手、その後ろにマーベラスサンデー、中団にサクラローレルといった隊列で進んでいったわ。
直線までは内で我慢させ、直線では馬場の真ん中にバブルガムフェローを持ち出したのよ。
その後ろから、古馬3強が襲いかかったわ。
バブルガムフェローはその馬たちとの真っ向勝負を選んだのよ。
3強との叩き合いね。
結果、最後まで先頭を譲ることはなかったわ。“3歳馬による天皇賞(秋)初制覇”
これはJRA史上初の快挙だったのよ。
鞍上の蛯名正義もG1初制覇と初物尽くしのレースとなったわ。
本当なら春にスポットライトを浴びていたはずだったけど、我慢が実を結びそれ以上のスポットライトを浴びたのよ。
続き、ジャパンカップは13着と大敗しこの年を終えたわ。
しばらく長い休養に入ったバブルガムフェローは、6月に阪神で行われる鳴尾記念で復帰。59キロを背負いながらも完勝。
やっぱり、天皇賞馬の力が伊達ではないことを証明したわね。
当初の予定通り宝塚記念に向かったわ。好位から競馬を進めていき、直線を向いて先頭に躍り出たの。
そこから、天皇賞同様に押し切るかと思われたんだけど、最後は武豊騎乗のマーベラスサンデーに差し切られ2着。
それでも、意地は見せた一戦だったわ。
バブルガムフェローの最大の目標は天皇賞連覇であったわ。そのためにこの年も毎日王冠から始動。
59キロの斤量を背負いながらも、危なげなく勝利したバブルガムフェローは天皇賞に向かったわ。
だけど、またもやバブルガムフェローは栄光から見放されてしまったわ。
あの“女帝”が襲いかかったのよ。
1997年10月26日第116回天皇賞(秋)。ディフェンデイングチャンピオンとしてバブルガムフェローは挑むこととなったわ。
前年の立場とは全く逆であったわね。
単勝は1.5倍。
メンバー的にも相手は1頭しかいなかったわ。
それはお互いに思っていたことだったの。
バブルガムフェローは3番手からレースを進めていき、エアグルーヴはそのやや後ろからレースを進めていたわ。直線を向き逃げるサイレンススズカを目標に各馬が追い出したの。
坂を登ってバブルガムフェローが抜け出したところを、外からエアグルーヴが叩き合いに持ち込んだわ。
この真のG1馬2頭による叩き合いは見ているものを黙らせたの。ただ、その叩き合いにすべての人が魅了されたわ。
牡馬と牝馬の垣根を越えた叩き合い。
昨年古馬の壁を破った馬は、1年後には90年代最高の牝馬の勝負根性の前に屈しるしかなく2着に敗れたわ。
昨年のリベンジをかけて挑んだジャパンカップだったけど、ピルサドスキー、エアグルーヴに屈し3着。これが、現役最後のレースとなったわ。
クラシック候補と言われ続けたけど、その舞台に立つことさえ許されなかったわ。だけど、その挫折を胸に過去にどの馬も到達することができなかった境地に辿り着いた馬。
それが…『バブルガムフェロー』よ。
なのだ。
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