ダンスインザダークの基本情報
馬名 | ダンスインザダーク |
生年月日 | 1993年6月5日 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ダンシングキイ |
戦績 | 8戦5勝 |
主な勝ち鞍 | ’96菊花賞(G1) |
調教師 | 橋口弘次郎 |
騎手 | 武豊 |
馬主 | (有)社台レースホース |
生産者 | 社台ファーム千歳 |
日本には一族と呼ばれる血統があるの。
90年代を彩ったその一族は『ダンス一族』と呼ばれたわ。
父は90年代に時代を気付いたサンデーサイレンス。
母はニジンスキーの血を引くダンシングキイ。
兄にはクラシックで活躍したエアダブリン。
姉はオークス馬のダンスパートナー。
生まれる前から走る事が約束されていたのよ。
遅生まれというのはサラブレッドにとっては致命傷で、早生まれに比べたら成長が遅いというハンデを抱える事になるの。
中団からレースを進めていたダンスインザダークは、直線を向いて逃げ馬が逃げ込みを図ろうとするのを上り最速で差し切り勝ちを収めたのよ。
しかも終始内にササリながらの勝利だったの。
この勝ち方は一躍ダンスインザダークの評価を上げたのよ。
ここには同じサンデーサイレンス産駒の、ロイヤルタッチとイシノサンデーも出走していたわ。
新馬戦を勝ったばかりのダンスインザダークは2番人気に推されたの。
初めての重賞級の馬を相手にしたダンスインザダークだったけど、やはり遅生まれのハンデ差は否めなかったわ。
ロイヤルタッチ、イシノサンデーから3馬身半の3着だったの。
この時期での力の差はまだあったわ。
だけど、ダンスインザダークは己の成長力でその差を着実に埋めていったのよ。
ここで相対するのはラジオたんぱ杯3歳ステークスで敗れたロイヤルタッチだったわ。
結果は負けてしまったんだけど、2か月前には3馬身半あった着差がクビまで縮まっていたわ。
確実に彼らにダンスインザダークが追い付いてきたのよ。
1番人気はイシノサンデーに譲ったんだけど、勝ったのはダンスインザダーク。
この時点で既にクラシックと言うものがはっきりと見えていたわ。
と思っていた矢先にダンスインザダークが発熱し皐月賞を回避せざるを得なくなったの。
そして、ダービーの前にプリンシパルステークスに出走することになったわ。
ダンスインザダークは単勝1.1倍のダントツの支持を受けてレースに挑んだわ。
武豊に初めてのダービーをもたらすのはこの馬だと誰もが思ったわ。
ダンスインザダークはもちろん1番人気での出走となったわ。
鞍上の武豊はこれまでに数々のタイトルを手にしていたんだけど、ダービーだけはどうしても手が届いていなかったの。
お互いにどうしても欲しいタイトル。
これは武豊がダービーを勝ちに行くための戦法だったの。
それだけ、この馬とのダービーに掛ける思いというのは並大抵のモノではなかったのよ。
そのペースを4番手でダンスインザダークは、武豊に支持に従いガッチリと折り合っていたの。
ダンスインザダークの後ろには皐月賞馬のイシノサンデー、フサイチコンコルド、中団にロイヤルタッチという隊列で流れていったわ。
坂を上ってもなお先頭。
人気のロイヤルタッチもイシノサンデーも追って来ない。
武豊の悲願達成かと思われた瞬間であったわ…
3戦目でのダービー勝利という空前絶後の記録を作り、ダンスインザダークはその引き立て役になってしまったの。
この無念を晴らせるのは残り1レース。
菊花賞しか残されていなかったの。
秋の初戦には京都新聞杯が選ばれライバルを抑えて勝利。
残された最後の淀の戦いに向かっていったわ。
ダービーで足元を救われたライバルも出走をしてきたがファンはダンスインザダークを1番人気に指示したわ。
17番枠からスタートしたダンスインザダークを武豊は中団に位置付け、そして最内に進路を取っていたの。
ダンスインザダークのライバルと目されている馬たちは全てダンスの前にいたわ。
ポジション的にはライバルを見れる絶好のポジションであったんだけど…
それに合わせて、ダンス自身が最内で前が壁になり身動きが取れないポジションまで下がってしまったわ。
「終わった…」と。
絶望的な位置だったわ。
だけど、武豊はそこから自らの手腕を発揮するのよ。
そこから強引に外に持ち出し、そこから鬼脚を発揮し上り33.8と長距離の常識では考えられない上がりで勝利。
見事、菊の大輪を咲かせたのよ。