フサイチコンコルドの基本情報
馬名 | フサイチコンコルド |
生年月日 | 1993年2月11日~2014年9月8日 |
父 | Cearleon |
母 | バレークイーン |
戦績 | 5戦3勝 |
主な勝ち鞍 | ’96日本ダービー(G1) |
調教師 | 小林稔 |
騎手 | 藤田伸二 |
馬主 | 関口房朗 |
生産者 | 社台ファーム早来 |
1995年にイギリスでわずか2戦でダービーを制した馬がいたわ。
その馬はニジンスキーの血を引く馬。
名を『ラムタラ』と言い『神の馬』と称されたわ。
そのキャリアわずか3戦。
今では考えられないような奇跡を起こした馬がいたのよ。
母のバレークイーンは欧州の大種牡馬サドラーズウェルズの血を引く馬だったのよ。
その2頭により交配されたフサイチコンコルドは、ノーザンダンサーの3×3という割と血の濃い配合だったの。
デビューに向けて栗東へ輸送中に肺に病を患い、それによる逆体温なども発症するようになってしまったのよ。
このフサイチコンコルドの最大の敵は自身の体質の弱さだったわ。
ここを1番人気に応えた勝利。
そこから2ヶ月の間隔を開けてオープンのすみれステークスし出走。
ここも1番人気に応えて勝利。
皐月賞に向けて賞金を加算したんだけど、調教師の小林は皐月賞回避を決定したわ。
だけど、ダービー出走でさえ順風満帆にはいかなかったわ。
そのためこのレースを回避。
賞金的にはダービー出走は微妙ではあったけど、なんとか出走にこぎ着けたわ。
でも、輸送の際にまたもや発熱。
ゲートイン出来るかは微妙だったの。
1996年6月2日第63回日本ダービー
ここでの1番人気は皐月賞を発熱で回避し、前走のプリンシパルステークスを勝ったダンスインザダークだったわ。
本来なら、ダンスとコンコルドはプリンシパルステークスで相見えるはずだったわ。
3番人気が皐月賞馬のイシノサンデーとこの年もサンデーサイレンス産駒たちが上位人気を独占したの。
フサイチコンコルド鞍上の藤田伸二は相手はダンス一本に絞っていたのでしょうね。
それほどダンスを意識した道中だったわ。
藤田伸二とフサイチコンコルドはダンスの外に進路を取りダンスを目標に迫っていったの。
残り200mでフサイチコンコルドはダンスインザダークを捕まえたわ。
その時、実況アナウンサーがこう言った「音速の末脚炸裂!」
まさに、コンコルドが飛んでいるような脚だったわ。
戦後、誰も見たことのない記録が達成された瞬間だったわね。
しかし、この先も彼を苦しめるのは体の弱さだったのよ。
だけど調整が間に合わなかったため、1週遅らせてオープンのカシオペアステークスに出走することとなったのよ。
1.3倍の指示を受けたけど、逃げた馬を捕まえることが出来ずに5馬身差をつけられての完敗だったわ。
2番人気の指示を受け、直線で一旦は先頭に立つも最後はダンスインザダークの鬼脚に屈し3着までに。
今後、何年何百年と競馬が続こうともこんな記録を達成出来る馬は二度と現れることはないでしょうね。
その中で本気で走ったのは奇跡を起こしたダービーだけかもしれないわ。