グラスワンダーの基本情報
馬名 | グラスワンダー |
生年月日 | 1997年4月17日 |
父 | Silver Hawk |
母 | Ameriflora |
戦績 | 15戦9勝 |
主な勝ち鞍 | ’97朝日杯3歳ステークス(G1) ’98’99有馬記念(G1) ’99宝塚記念(G1) |
調教師 | 尾形充弘 |
騎手 | 的場均 |
馬主 | 半沢有限会社 |
生産者 | フィリップスレーシングパートナーシップ&ジョンフィリップス |
98年といえば黄金世代と言われた世代だったわ。
とにかく強い馬がひしめき合っていたの。
その中でもアメリカ産馬の栗毛の馬は特別なオーラを放ちライバルたちと凌ぎを削っていたわ。
特にグランプリには無類の強さを発揮し、99年には春秋グランプリ連覇を達成。
“マルゼンスキーの再来と言われた馬”
それが…
“グラスワンダー”よ。
ここでこの栗毛の馬は日本の競馬関係者に衝撃を与えたのよ。
単勝は1.5倍の断然人気。
外枠からスタートを切ったグラスワンダーはすっと2番手につけて競馬を進めていったわ。
そして、直線を向くと鞍上の的場均がほぼ追うことなくあっという間に2着馬に3馬身の差をつけて圧勝。
その走りっぷりは既に3歳馬(当時)の域を超えていたわ。
新馬戦とは違い後方からレースをしていたグラスワンダーだったけど、直線だけで他馬を飲み込み終わってみれば5馬身差の解消。
そのままの勢いで重賞の京成杯3歳ステークスに挑んだグラスワンダーだったけど、もはやこの世代には敵など存在しなかったわ。
初めての重賞挑戦で単勝オッズが1.1倍。
この数字が現時点でのグラスワンダーの全てを物語っていたわ。
結果は、2番手からあっさり抜け出し終わって見れば6馬身差の圧勝。
もはや、3歳王者はこの馬で決まりという様相が呈していたわね。
もはやグラスワンダーが負けるなど到底考えられなかったわ。
ここ3戦で見せた走りっぷりはもはや異次元。
オッズは1.3倍と確証ムードが漂っていたの。
このレベルならもはやポジションなども無関係なものだと思われたの。
半マイル45.4と明らかなハイペースだったわ。
それを難なく追走していき、4コーナーでは馬なりで上がって行き直線で追い出しにかかるとあの雄大な馬体は躍動したわ。
軽くムチを使っただけで2馬身半。
勝ちタイムは1:33.6の当時のレコードでありレース史上で初めて1:34.0の壁を破ったのよ。
そして、文句無しでこの年のJRA勝最優秀3歳牡馬を受賞。
ただ、この時期はまだ外国産馬にクラシックが解放されていなかったのでグラスワンダーが目指すのはNHKマイルカップだったわ。
NHKマイルカップの前哨戦としてニュージーランドトロフィー4歳ステークスを目指していた矢先に右足に骨折が判明。
これにより春を棒に振ることになってしまったの。
そのレースとなったのが毎日王冠よ。
ここには、サイレンススズカともう一頭の無敗の外国産馬のエルコンドルパサーが出走してきたわ。
G2とはいえ、誰が1番強いのか決めるには興味が尽きないレースだったわ。
時代が変わった今なお伝説と語り継がれるレースね。
G2としては異例の12万人が競馬場に詰めかけたわ。
2番人気は怪我明けのグラスワンダー。
3番人気は無敗でNHKマイルカップを勝ったエルコンドルパサーだったわ。
やはり、グラスワンダーの強さを評価する人が多かったわ。
それだけ3歳時のレースが衝撃的だったのね。
エルコンドルパサーはそのサイレンススズカをマークする形を取ったの。
スタートで若干出遅れたグラスワンダーは中団からレースを進めていったわ。
サイレンススズカが作り出したペースは1000m通過が57.7。
大欅を過ぎたところからグラスワンダーが先にサイレンススズカを捕らえにかかったの。
直線を向きサイレンススズカが後続を離しにかかったわ。
グラスワンダーも付いて行こうとするが追い付かなかったの。
サイレンススズカ1着。
エルコンドルパサー2着。
グラスワンダーは5着という結果になったわ。
次にグラスワンダーが向かったのはアルゼンチン共和国杯だったわ。
好位からレースを進めていったのだがいいところなく6着に敗れたの。
この2戦のレースぶりから“早熟説”などが流れ、「グラスワンダーは終わった・・・」とって声も聞こえてきたわ。
1998年12月27日第43回有馬記念。
グラスワンダーは4番人気とはいえ伏兵扱いに過ぎなかったわ。
グラスワンダーは中団の真ん中からレースを進めていったの。
3コーナー過ぎから馬の気に任せて上がっていき、直線を向いた頃には前を射程圏内に捉えていたわ。
そして、その地を這うような走りは再び復活したわ。
坂を登り先頭に立つと後方からメジロブライトが猛追してくるけど、グラスワンダーはそれを凌ぎきり先頭でゴール。
見事復活の勝利を飾ったわ。
周りの雑音を己の力で黙らせたグラスワンダー。
翌年は国内に専念が決まりこれで同期のダービー馬との戦いが面白くなったのよ。
1999年。
グラスワンダーは産経大阪杯からの復帰を目指していたんだけど、厩舎で暴れて再び怪我をしてしまい、大阪杯を自重し京王杯スプリングカップでの復帰が決まったわ。
ここでは先に抜け出したエアジハードを3/4馬身捉えて勝利し安田記念に向かったの。
グラスワンダーのオッズは1.3倍の圧倒的な指示を集めての出走となったわ。
4コーナでエアジハードがグラスワンダー目掛けて早めに動き出したのよ。
直線を向いてグラスワンダーが先に抜けだしそのままだと思われていたけど、外からエアジハードがグラスワンダーを差し切ったわ。
前走とは全く逆の展開での敗北。
この頃から「グラスワンダーは左回りが苦手」という話が持ち上がっていたわ。
安田記念で思わぬ敗北を喫したグラスワンダーはグランプリ連覇を目指し宝塚記念に向かったの。
ここで生涯にして最大のライバルのスペシャルウィークと初めて相見えることとなったのね。
注目は、グラスワンダーvsスペシャルウィークのみだったわ。
グラスワンダーを2.8倍。
と完全なる2強で迎えたの。
3コーナーから早めにスペシャルウィークが進出をし、それを目標にグラスワンダーが後を追ったの。
直線を向き早々とスペシャルウィークを捕らえ後は差をつけるだけだったわ。
終わってみればダービー馬に3馬身の決定的な差をつけての勝利。
ダービー馬のプライドを打ち砕いた瞬間だったわ。
これで有馬記念に続くグランプリ連覇を達成。
秋は前年同様に毎日王冠から始動。
圧倒的人気に応えた勝ったは勝ったが着差はハナ。
やはり、左回りになるとパフォーマンスが落ちるのは否めなかったわね。
ジャパンカップを目指していたグラスワンダーだけど、レース前に跛行のため回避になったわ。
そして、グランプリ連覇を目指し有馬記念に出走をしてきたわ。
この年での引退が決まっているスペシャルウィークとの最後の戦い。
宝塚記念では圧勝したとはいえ一筋縄ではいかないと的場均は思っていたわ。
展開は宝塚記念とは逆になったの。
それだけを心得てグラスワンダーに跨ったわ。
人気は宝塚記念とは逆になったわ。
グラスワンダーが1番人気よ。
スペシャルウィークが2番人気。
だけど差は僅かだったわ。
確固たる逃げ馬がいないこのレースは明らかなスローペースになったわ。
スペシャルウィークはシンガリから、グラスワンダーはその数馬身前にいたの。
3コーナー過ぎから先にグラスワンダーが動き出したわ。
それを見てスペシャルウィークも動き出したの。
流れ的には宝塚記念と全く同じだったけど、位置取りが真逆だったわ。
直線を向きグラスワンダーの外にスペシャルウィークは進路を取ったわ。
坂を登り一旦3歳馬のテイエムオペラオーが抜け出しにかかるけど、ゴール前ではグラスワンダーとスペシャルウィークが鼻面を並べてゴール。
どっちが勝ったか一眼では判断がつかないほど僅差だったのよ。
長い写真判定。
武豊とスペシャルウィークは勝ったと思いウイニングランをし、対照的に的場均とグラスワンダーは検量室前に引き上げ2着のところに馬を入れた。
そして、写真判定が終わり電光掲示板に出た着順は・・・
1着7番:グラスワンダー
2着3番:スペシャルウィーク
着差はハナ。
その差はわずか4cmと言うものであった。
これで、グラスワンダーはグランプリ3連覇を達成したの。
歴史に残る名勝負。
力と力のぶつかり合い。
まさに競馬の醍醐味を見せられた瞬間だったわね。
スペシャルウィークはこれで引退。
グラスワンダーは翌年も現役続行を決断。
だけど、その後グラスワンダーがレースで勝利を収めることはなかったわ。
怪物と評価されその通りの走りを見せてた栗毛の外国産馬。
手にしたG1は4つ。
そのうち3つがグランプリ。
特に中山での強さは目を見張るものがあったわ。
だけど、天は二物を与えない。
東京でのパフォーマンスが落ちるのは確実だったわ。
出来ることなら、ジャパンカップでのグラスワンダーとスペシャルウィークとエルコンドルパサーの戦いが見たかったわね。
好敵手。
この存在が馬を奮い立たせることがあるかもしれないわ。
グラスワンダーとスペシャルウィークはまさにこのような関係だったでしょうね。
王者の風格と言うものを漂わせた馬こそ
『グラスワンダー』
なのよ。