メジロマックイーンの基本情報
馬名 | メジロマックイーン |
生年月日 | 1987年4月3日~2006年4月3日 |
父 | メジロティターン |
母 | メジロオーロラ |
戦績 | 21戦12勝 |
主な勝ち鞍 | ’90菊花賞(G1) ’91’92天皇賞(春)(G1) ’93宝塚記念(G1) |
調教師 | 池江泰郎 |
騎手 | 武豊 |
馬主 | メジロ商事(株) |
生産者 | 吉田堅 |
日本が誇るオーナーブリーダーに『メジロ牧場』があったわ。
このメジロ牧場と言えば、天皇盾にこだわりを持ち生産を行っていたわね。
メジロアサマが1970年の天皇賞(秋)を勝ち、その息子のメジロティターン1978年の天皇賞(秋)を勝利。
そちらも3200mの天皇賞を勝った日本が誇る自慢のステイヤー血統だったわ。
叔父はメジロアサマ。
父はメジロティターン。
生まれながらに天皇賞を意識させられた血統ね。
マックイーンはこの同期の背中を追うように徐々に力を付けて行ったの。
ダート1700mで初陣を飾ったわ。
そして、9月に函館で行われた500万下の木古内特別で久々の勝利を挙げ、続く900万下の大沼ステークスを勝利。
菊花賞出走を目指し1500万下の嵐山ステークスに出走したんだけど、ここを2着に敗れてしまい菊花賞出走に黄色信号が灯ったわ。
だけど、回避馬が出た事によりなんとか出走にこぎつけたわ。
メジロマックイーンは条件馬の身にも関わらず4番人気の評価だったわ。
1番人気はメジロの同期のメジロライアンよ。
2番枠からスタートしたメジロマックイーンは1週目は5番手でレースを進めていったわ。
ライバルと目されていたメジロライアンは中団からレースを進めたの。
2週目の坂の登りから下りにかけてメジロマックイーンは2番手まで押し上げたわ。
そして、そのまま直線に向いたの。
早々と先頭に立ったメジロマックイーン。
内からホワイトストーンが、外からメジロライアンが猛追をしてくるけどマックイーンが先頭でゴール。
メジロ対決はマックイーンに軍配が上がったわ。
単勝支持1.2倍に応えて危なげく勝利し、当初の目標通り天皇賞(春)に向かう事が決まったわ。
戦前の予想ではマックイーン、ライアン、ホワイトストーンの3強と言われていたわ。
だけど、ココでも単勝1倍台のダントツの支持を受けたマックイーン。
もはやこの距離での敗北など考えられなかったわ。
15番枠からスタートしたマックイーンは、いつもよりは後ろ目のポジションの7番手くらいでレースを進めていったの。
2週目の坂を上り下りを利用して少しづつポジションを上げて行き3番手で直線を向くと、そのまま後続を離し見事人気に応えて勝利。
そして、この天皇賞の勝利こそメジログループの作り上げた、北野豊吉の悲願でもあったのよ。
口取り写真で鞍上の武豊は豊吉の写真を馬上で掲げたわ。
ここでも3強の様相を呈してはいたけど、マックイーンが単勝1.4倍の圧倒的人気だったわね。
レースではこれまで差し脚に徹していたメジロライアンが先行策を取り、最後の直線でマックイーンもライアンを追うが届くことはなかったわ。
そして、春秋天皇賞連覇を目指していざ東上。
秋の天皇賞へと駒を進めたわ。
この時誰もレース後の結末など知る由もなかったわ…
この枠こそがこのレースに於いてのマックイーンの結果を左右することになるのよ。
そのまま3番手からレースを進めていったわ。
だけど、最初の2コーナーを曲がった辺りで後方の馬群がばらけていたの。
最後の直線を向いて追い出すと内にいたプレクラスニーを横目に見てそのまま6馬身ほどの着差を広げてゴール。
タマモクロス以来の春秋天皇賞制覇を成し遂げた。
対象は何を隠そうメジロマックイーンだったの。
スタート後に内側に斜行をし、他馬の進路を塞いだという理由での失格降着という制裁が下されたわ。
G1競走での1着入線馬が降着で失格になるというのは、異例中の異例だったの。
だけど、世界の壁は厚くマックイーンを以てしてもこじ開ける事は出来なかったわ。
日本馬再先着を果たすも4着が精一杯だったわ。
既にマックイーンの人気は不動のものになっていたわ。
国内でマックイーンが負ける姿など想像も出来なかったわね。
いつもよりは後方の位置からレースを進めて行くマックイーン。
直線で先に行く馬を追いかけ勝ちパターンに持ち込んだけど、最内から14番人気のダイユウサクが抜け出し勝利。
まさかの馬の勝利に会場はどよめいたわ。
少しづつマックイーンの中での歯車が狂い始めていたのね。
目指すは春の天皇賞連覇ただ一つ。
その為の前哨戦として阪神大賞典が選ばれここを難なく勝利し、天皇賞へと駒を進めたわ。
マックイーンの最大のライバルとして、7冠馬の子で無敗のダービー馬のトウカイテイオーとの初対決でもあったのよ。
マックイーンの2連覇か?
それとも、無敗でダービーを制した意地か?
15時40分に運命のゲートが開いたわ。
一方トウカイテイオーは中団からマックイーンを見る形でレースをお互いに進めていたわ。
そのマックイーンは早々と先頭に立ち、そのまま2頭による一騎打ちが見られると思っていた
一方トウカイテイオーはなかなか伸びる事が出来ない。
終わってみればマックイーンの独断馬によるレースとなったわ。
これで春の天皇賞連覇達成。
その後、宝塚記念を目指していたメジロマックイーンだったけど、骨折が判明し長い休養を余儀なくされてしまったわ。
史上初の天皇賞3連覇を目指し庭とも言うべく淀の3200mに向かったわ。
日本競馬史上初の同一G13連覇という記録に挑むメジロマックイーンを、ファンは当然の如く1番人気でターフに迎えたわ。
そのオッズは1.6倍。
誰しもその記録達成を疑わなかったわ。
武豊に「今のマックイーンには3200は長すぎる」と言われるほど、年齢を重ねるごとに落ち着きが無くなってきていたのよ。
1週目のメインスタンドでは少し引っ掛かっている素振りを見せたわ。
坂の登りで動き出すメジロマックイーン。
それも待ってましたとばかりにマックイーンに迫る黒い影。
マックイーンはその黒い影から2馬身半遅れて2着となったのよ。
その馬は“ライスシャワー”よ。
これで4年連続のG1制覇となったわね。
その前哨戦として京都大賞典が選ばれ、ここを勝利。
勝ちタイムは2:22.7の当時のレコードで圧勝し、誰もがこの先のマックイーンの最後の飛躍を確信していたわ。
この勝利はJRA史上初の獲得賞金10億円突破という記録月でもあったの。
天皇賞(秋)で昨年の雪辱を晴らすはずだったのに、レースの数日前に繋靭帯炎を発症。
そのまま、秋のG1で走る事なくターフを去ったのよ。
そこから、ドリームジャーニー・オルフェーヴル・ゴールドシップといった時代を彩ったG1馬たちが誕生したのよ。
そのメジロ牧場が長い年月を掛けて親子3代天皇賞制覇を成し遂げ、総帥の思いを完結させた馬。