サクラバクシンオーの基本情報
馬名 | サクラバクシンオー |
生年月日 | 1989年4月14日~2011年4月30日 |
父 | サクラユタカオー |
母 | サクラハゴロモ |
戦績 | 21戦11勝 |
主な勝ち鞍 | ’93’94スプリンターズステークス(G1) |
調教師 | 境勝太郎 |
騎手 | 小島太 |
馬主 | (株)さくらコマース |
生産者 | 社台ファーム早来 |
日本の競馬においてもスペシャリストは存在するわ。
その中でも、短距離のスペシャリストは数えるほどしかいないの。
その数えるほどしかいない短距離のスペシャリストの中で、今なお最強と謳われている馬がいたわ。
その名の通りただひたすら進み続けたわ。
母のサクラハゴロモの母クリアアンバーは、アンバーシャダイの母でもあるわ。
その父と母から生まれたのがサクラバクシンオーよ。
小島太を背に2番人気ではあったけど勝利。
次に向かったのは、芝のマイル戦の黒竹賞。
直線で先頭に躍り出るもわずかの差で敗れ2着になったの。
次に選ばれたレースは、1200m戦の桜草特別。
ここは、スタートからハナに立ちそのまま勝利し、皐月賞トライアルのスプリングステークスに向かったわ。
3番人気に推させるも、直線で失速し12着の大敗。
これを機に陣営は、短距離を中心にサクラバクシンオーをレースで使っていくのよ。
単勝1.8倍の指示を受けたサクラバクシンオー。
ここでも果敢にハナに立っていったの。
直線を向いても手応えは抜群だったわ。
そのままほぼ馬なりで後続を置き去りにし、3馬身半差の勝利。
見た目以上に楽勝だったわね。
ここは、後にマイルチャンピオンシップを勝つシンコウラヴリイの7着に敗れたわ。
このレース後3ヶ月の休みに入ったサクラバクシンオーは、9月の京成杯オータムハンデで復帰しここを3着と好走。
オープンの多摩川ステークスは7着。
距離を短くしたキャピタルステークスは1番人気で勝利。
そして、この年最大目標のG1スプリンターズステークスに向かったの。
果敢に先頭を切るも、ニシノフラワー以下の切れ味に屈し6着。
1400m以下での敗戦は生涯でこの1回だけだったわ。
距離は1200mのオータムスプリントステークス。
2番人気ながら勝利し、続くマイル戦のアイルランドトロフィーは4着に敗れたわ。
マイルチャンピオンシップを回避しオープンのキャピタルステークスに出走し勝利。
そして、再びスプリンターズステークスに帰ってきたわ。
3番手から前を見ながらレースを進めていく。
坂下で早々と先頭に立つとそのまま押し切り勝利。
見事に初G1制覇を飾ったのよ。
見事スプリントG1を制覇し、G1馬として迎えるこの年。
その初戦に選んだのは4月に中山で行われる1200mのダービー卿チャレンジトロフィー。
バクシンオーにとって1200戦は庭みたいなものだったわね。
58㎏を背負おうが全く関係はないわ。
ここでも2馬身差の圧勝劇。
やはり、マイル戦になるとパフォーマンスが落ちるのは否めなかったわね。
結果は、ノースフライトの4着。
走破タイムは素晴らしかったけど、勝ち馬から離され4着。
次はG2のスワンステークス。
距離は1400m。
ここでの相手は安田記念で負けたノースフライトだったわ。
バクシンオーからすれば、1400mでは負けられなかったのね。
結果は、バクシンオーがノースフライトを1馬身1/4抑え勝利。
そのまま、この2頭はマイルチャンピオンシップでも相見えることとなったわ。
人気はサクラバクシンオーが2番人気。
やはり、距離不安は拭えなかったわね。
結果は、またもやノースフライトが勝ったの。
その最後のレースに選ばれたのは、連覇を掛けてのスプリンターズステークス。
このレースで負けることは到底許されるものではなかったわね。
単勝は1.6倍。
もはや、スプリント戦でのバクシンオーの負けを考えるものなど皆無に等しかったわ。
1994年12月18日第28回スプリンターズステークス。
8番枠からスタートしたバクシンオーは、逃げる馬を見ながら4番手でレースを進めていったの。
4コーナーを回ってサクラバクシンオーは早々に先頭に並びかけたわ。
そのまま馬なりで坂にかかっていき、そこから追い出しを始めるとサクラバクシンオーは 鞍上の小島太の“愛のムチ”に走りで応えたわ。
着差の付きにくいスプリント戦で、4馬身差の圧勝。
勝ちタイムの1:07.1は当時の日本レコードだったわ。
負けたのは初めて挑んだスプリンターズステークスだけだったわね。
このサクラバクシンオーが活躍した当時は、スプリント路線はあまり注目されていたものではなかったわ。
だけど、このサクラバクシンオーの活躍が後に高松宮記念を作り、今の短距離路線の充実の根幹を成しているのよ。
そして、人々から愛されたスプリンター。