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ヴィクトワールピサは震災で希望を見失った日本に光をもたらしました

ドバイワールドカップ、皐月賞、有馬記念を制した名馬の中の名馬です
目次

ヴィクトワールピサの基本情報

馬名 ヴィクトワールピサ
生年月日 2007年3月31日
ネオユニヴァース
ホワイトウォーターアフェア
戦績 15戦8勝
主な勝ち鞍 ’10皐月賞(G1)
’10有馬記念(G1)
’11ドバイワールドカップ(G1)
調教師 角居勝彦
騎手 M.デムーロ
馬主 市川義美
生産者 社台ファーム

 

 

2011年、日本を襲った未曾有の大震災。

 

競馬の是非が問われたこの時期に、遥か遠くドバイの地で日本の人々に勇気と希望を与え、競馬の力を世界に知らしめた馬がいたわ。

 

これまで、手が届かなかった“勝利の山”の頂上に辿り着いた馬。

 

それが…

 

『ヴィクトワールピサ』よ。

 

兄には安田記念を勝ったアサクサデンエンがいたわ。 

父がネオユニヴァースに変わり兄とは違うタイプの馬だったの。

 

栗東の角居厩舎に入厩したヴィクトワールピサは、デビュー戦を2009年10月の京都で飾ったわ。 

距離は1800m。

 

ダントツに1番人気だったけど、もう一頭の良血馬のローズキングダムに差し切られ2着とほろ苦いデビュー戦だったわ。

 

初勝利を目指し迎えた11月の未勝利戦。

 

ここも圧倒的な人気に応えたわ。

 

続くオープンの京都2歳ステークスも勝利し、暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークスに向かったの。

 

単勝1.6倍と、もはや世代屈指の能力の持ち主と誰もが認めた瞬間だったわね。

 

それだけ、ヴィクトワールピサのレース振りには死角らしい死角が見当たらなかったわ。

 

これまでの先行策とは打って変わって、中団待機策に打って出たヴィクトワールピサと武豊。

 

直線まで追い出しを我慢し、満を持して追い出しにかかるとジリジリと前との差を詰め最後はクビ差捕らえて勝利。

 

初重賞勝利を飾ると共に、クラシックの主役として来年を迎えるのは間違いなかったわ。

 

年が明けた2010年、ヴィクトワールピサは王道路線を進むことになったわ。 

その一発目に選ばれたのが、」皐月賞トライアルの弥生賞よ。

 

これまでは関西での競馬がメインだったヴィクトワールピサにとっては、クラシック制覇に向けてはこの上ないレースだったわ。

 

ここでも単勝オッズは1.7倍。

 

これで、デビューから5戦連続単勝1倍台ね。

 

最内枠からスタートしたヴィクトワールピサ鞍上の武豊は、好位やや後ろのインで我慢させたわ。 

久々の分、少し行きたがる素振りは見せていたわね。

 

前半1000mが63.6の超が付くほどのスローペースだったわ。

 

直線を向くと馬群がひと塊りになっていて、最内にいたヴィクトワールピサは前が壁になってしまったわ。

 

それでも武豊は冷静だったの。

 

先に抜け出したエイシンアポロンとダイワバーバリアンの間に、ヴィクトワールピサを突っ込ませたわ。

 

坂を登り半馬身エイシンアポロンを捕らえて勝利。

 

少しのアクシデントもアクシデントと感じさせない、鞍上の手腕とそれに応えた馬の能力にただ脱帽するだけだったわ。

 

堂々と本番に向かったわよ。

 

2010年4月18日第70回皐月賞。 

この皐月賞。

 

主戦の武豊が落馬したことにより、岩田康誠に乗り替わりとなったわ。

 

これが吉と出るか凶と出るかが見ものだったわね。

 

ヴィクトワールピサにとっての最大のライバルはスプリングステークス組だったわ。

 

新馬戦で苦杯を舐めた2歳王者のローズキングダム。

 

そのチャンピオンを破ってトライラルを制したアリゼオ。

 

この2頭がヴィクトワールピサに次いで人気になったのよ。

 

13番枠からスタートしたヴィクトワールピサは、中団につけ内に入れたわ。 

道中行きたがるのをなんとかなだめながら進んでいったの。

 

最後の直線で鞍上の岩田は進路を内に取ったわ。

 

それも迷いは感じられなかったわね。

 

最内から前を捕まえヒルノダムールとエイシンフラッシュが猛追してくるけど、凌ぎきりまず1冠を制したわ。

 

もちろん次に向かうのは2冠を目指し、競馬の祭典の日本ダービーよ。 

皐月賞とは一転して好位からレースを進めていったわ。

 

このレースはスローペースになり上がり勝負の競馬になったの。

 

切れる脚のないヴィクトワールピサにとっては厳しい展開となり、3着が精一杯だったわ。

 

その後、秋は菊花賞には向かわずにフランスのロンシャン競馬場へと旅立ったわ。 

目指すは凱旋門賞制覇だけだったわね。

 

前哨戦のニエル賞は4着で、いざ本番の凱旋門賞。

 

やはり、海外の壁は厚く7着だったわ。

 

帰国後ジャパンカップに出走したの。 

海外帰りなどで人気はなかったけど、3着と善戦。

 

この年の最後に選んだのは有馬記念。 

このレースの出走、ある男との出会いがこの先の運命までも決めてしまったのよ。

 

2010年12月26日第55回有馬記念。 

1番人気は女王ブエナビスタ。

 

ヴィクトワールピサはブエナビスタに次ぐ2番人気だったわ。

 

鞍上には、父ネオユニヴァースで2003年に日本ダービーを制したミルコ・デムーロが跨ったの。

 

1番枠からスタートしたヴィクトワールピサは、好位の4番手でレースを進めていったわ。

 

ペースが上がることはなく先頭からしんがりまでの差はあまりなかったわね。

 

4コーナー手前で早めに先頭に並びかけ、直線を向いた時にはもう先頭に立っていたわ。

 

坂を登りきり大外から女王ブエナビスタが飛んできたわ。

 

だけど、最後はハナ差制して勝利。

 

3歳馬唯一のG12勝馬でこの年の最優秀3歳牡馬に選ばれたの。

 

そして、歴史的偉業を達成し大きく傷ついた日本のファンに勇気と希望を与える2011年が幕を開けたのよ。

 

ドバイワールドカップに選出されたヴィクトワールピサは参戦決め、その前哨戦は2月に中山競馬場で行われる中山記念を圧倒的1番人気で迎え危なげなく勝利。 

前哨戦としては文句なしのレースだったし、本番に希望が膨らむ勝利だったわ。

 

だけど、その中山記念から数週間後の3月11日。 

東北地方を襲う歴史的な大震災が起き、その被害たるや計り知れないものだったわ。

 

その甚大なる被害から遠征さえ危ぶまれたけど、日本は遠征を決行し人々に勇気を与えようとしたわ。

 

そして、迎えた特別なドバイワールドカップ。

 

スタート後、ヴィクトワールピサは行き脚が付かず最後方からの競馬を余儀なくされたわ。 

この出遅れは、巻き返しようのない致命傷にも思えたわね。

 

日本から一緒に参戦したトランセンドが逃げを打つ中、 向こう正面で鞍上のミルコ・デムーロはヴィクトワールピサを一気に2番手まで押し上げたわ。

 

一見、無謀とも思える戦法だったわね。

 

この馬場であれだけの脚を使えば、終いは止まると誰もが思ったわ。

 

だけど、直線に向いてもヴィクトワールピサの手応えは良かったわ。 

逃げるトランセンドを捕らえるとそのまま2頭で叩き合ったの。

 

後ろから海外の強豪馬を迫ってきていたんだけど、日本馬の脚は止まることはなかったわ。

 

残り100mを切り見ている全ての人が言ったであろう

 

「頑張れ。そのまま。頑張れ」

 

この思いは遥か遠いドバイに確実に届いていたわ。 

残り50mでヴィクトワールピサが前に出たの。

 

トランセンドも粘ったわ。

 

1着はヴィクトワールピサ。 

2着にトランセンド。

 

日本馬のワンツーというこの上ない結果をもたらしたわ。

 

信じ追い続けた結果、心も体もボロボロだった日本に僅かな光を灯したの。 

決して大きな光ではないかもしれないわ。

 

この小さな光が集まり大きくなり、人々は前を向いて進んで行く決心をしたんでしょうね。

 

全ての人にこの思いは伝わるものではないわ。 

ただ、日本を前に進めた要因の一つであるのは間違いないわね。

 

生きる気力を失い、全ての人が絶望に苛まられたこの時に

 

“信じ続けること”“折れない心を持つこと”

この2つをヴィクトワールピサは教えてくれたんでしょう。

 

それは人として生き、誰もが心の奥底に眠る物を蘇らせてくれたわ。

 

そして、競馬の持つ違った力を示してくれたのが

 

『ヴィクトワールピサ』なのね。

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