子供たちにその夢を託して
2006年 85回 凱旋門賞結果
着 馬 騎手
1 レイルリンク S・パスキエ
2 プライド C・ルメール
3 ハリケーンラン K・ファロン
外 ディープインパクト(3入線・失格) 武豊
2006年10月1日。
凱旋門賞が行われるフランスのロンシャン競馬場に、およそ6000人もの日本人が押し寄せたわ。
日本国内ではNHKによって、当時としては異例となる同レースの生中継が行われ、深夜のパブリックビューイングには数千人もの観客が集まったの。
日本中の競馬ファンがこの日、日本馬による初の凱旋門賞制覇を確信していたわ。
この日、日本から凱旋門賞に挑戦するのはディープインパクト。
シンボリルドルフ以来21年ぶりに無敗でのクラシック三冠を達成した名馬よ。
この年も春の天皇賞では芝3200mのレコードを更新しての勝利、宝塚記念も2着に4馬身差をつけての快勝だったわ。
『世界中を探したって、ディープインパクト以上に走れる馬はいない』
『走っていると言うより飛んでる感じ』
主戦騎手の武豊が興奮気味に称えるたび、ファンはディープインパクトの世界制覇に期待を膨らませたわ。
そして迎えたレース当日。
ロンシャン競馬場にはフランス中の有力馬が集結したわ。
前年の凱旋門賞を制したハリケーンランに、前年のブリーダーズカップ・ターフの勝ち馬シロッコ。
その他にも、斤量の軽い3歳馬にしてG1覇者のレイルリンクや、6歳でサンクルー大賞典を制しG1馬となったプライドなどが出走を表明。
こうした顔ぶれを前に出走を回避する陣営が後を絶たず、当日ゲートに入った馬はわずか8頭だったわ。
そんななか、ディープインパクトは当日の1番人気。
日本国内のレースすべてでそうであったように、この日も単勝1倍台の圧倒的な支持を受けたわ。
これまで欧州馬以外の勝利がない凱旋門賞だったけど、現地の競馬ファンの間では今回ばかりはディープインパクトに勝たれても仕方が無い、とある種諦めのようなムードさえ漂っていたわ。
ディープインパクトが凱旋門賞の歴史に名を残すさまを誰もが想像したのよ。
現地時間17:35。
ゲートが開くと、勢いよくスタートを切ったディープインパクト。
一度は先頭に立ったけど、外のアイリッシュウェルズを行かせ2番手につけたわ。
ディープインパクトといえば、これまでのレースでは常に中段より後ろに構え、終盤の圧倒的な末脚で勝利を重ねてきた追い込み馬だわ。
だけど今回は、フランスのスローな競馬を見越して先行策を取ったのよ。
途中シロッコに2番手を譲り、3番手でレースを進めたディープインパクト。
その真後ろにはレイルリンクがつけ、徹底的にマークする構えだったわ。
超スローペースから徐々に速度を上げていくレース展開のなか、馬群は第三コーナーを抜け、フォルス・ストレートと呼ばれる第四コーナー前の直線へ。
武は手綱を持ったままだったけど、ディープインパクトは早くも先頭を捉えにかかったの。
レイルリンクもすぐさま反応したわ。
ディープインパクトが第四コーナーを回り、先行した2頭と並んで最後の直線を向いたころ、各馬が一斉に追い出しを開始したわ。
世界の頂点に向けた、まさに正念場ね。
彼がここまでのレースで見せてきた強烈な末脚を出せれば、このまま逃げ切ることは容易いと思われたわ。
残り300m、ディープインパクトがアイリッシュウェルズとシロッコを捉え、先頭に立ったの。
だけど、そこまでだったわ。
その走りには、かつて武が「飛んでいるよう」と称えた優雅さやスピードが感じられなかったの。
重いフランスの芝、遅いレース、後方からのマーク、早くからの追い上げ…一つひとつの問題はごく小さなものだったけど、確実にディープインパクトを蝕んでいたのよ。
後続馬を引きずるようにどうにか先頭を走るディープインパクトの後方には、大外を突き抜けてくる一つの影があったわ。
終始ディープインパクトをマークしていたレイルリンクよ。
残り200m、レイルリンクは瞬く間に馬体を並べたわ。
ディープインパクトにはもはや、これをかわす力は残っていなかったの。
残り100m、ディープインパクトがレイルリンクに先頭を明け渡したわ。
そしてゴール直前、更に外から6歳馬プライドが迫り、ディープインパクトを捉えたの。
日本で圧倒的な強さを見せ、当代に敵なしと称えられた名馬が、世界の最高峰で3着に敗れたのよ。
失意の日本競馬界に更なる悲報が届いたのは、その年の10月19日。
レース後のディープインパクトから、禁止薬物が検出されたのよ。
凱旋門賞の前日に咳の治療のため与されたイプラトロピウムが、何らかの理由でレース後まで残留したものだったわ。
これによりディープインパクトは失格処分となり、凱旋門賞の歴史上初めての失格馬としてその名を残すこととなったのよ。
日本に戻ったディープインパクトはその後、凱旋門賞の雪辱を晴らすような走りでジャパンカップと有馬記念を圧勝し、同年に競争生活を終えたわ。
彼の雪辱は、その遺伝子を受け継ぐ子供たちに引き継がれることとなったのよ。
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