ディープインパクトの基本情報
馬名 | ディープインパクト |
生年月日 | 2002年3月25日 |
引退 | 2006年12月24日有馬記念(G1) |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ウインドインハーヘア |
戦績 | 14戦12勝(12.1.0.1) |
調教師 | 池江泰郎 |
馬主 | 金子真人ホールディングス |
産地 | 早来町(ノーザンファーム) |
デビューから圧倒的な強さを見せ続けた史上最強の三冠馬
ディープインパクトは、クラシック三冠を無敗で達成した名馬。
レースを観戦したことがある人は、その圧倒的な末脚の凄さに驚いたことでしょう。
最後の直線で見せるエンジンが掛ったような加速は衝撃的で、主戦の鞍上を務めた武豊騎手が「走っているというよりは飛んでいる」と表現し、絶賛したほどです。
そんな圧倒的な強さを誇ったディープインパクトですが入厩当初の評判はあまり高くなく、馬体も牝馬と見間違えてしまうくらい小さくて華奢でした。
ただ、坂路調教を行ってみるとタイムが良く、走った後も疲れたそぶりを見せなかったため、厩務員は「只者ではない」と感じたそうです。
そして、その予感は的中することになります。
2004年12月19日に行われた新馬戦で、ディープインパクトは2着に4馬身差を付けるという圧勝劇を見せたのです。
次走の若駒ステークスでも、先頭と10馬身の差があったのを4コーナーから一気に加速して追い付き、5馬身差を付けて完勝。
デビュー戦から他馬を寄せ付けない勝ち方を見せ、ディープインパクトは一躍脚光を浴びる存在となりました。
多くのファンが抱いた「この馬はクラシック戦線でも活躍するだろう」という期待。
翌年、それに応えるように、ディープインパクトは無敗でクラシック三冠を制覇するのです。
デビューから無敗の7連勝。
もはやディープインパクトが負ける姿など、誰も想像できませんでした。
しかし、年末の有馬記念。
ファンにとって忘れがたい事件が起こります。
それまで敵とも思っていなかったハーツクライに、負けたのです。
スタートから先行策をとり、4コーナーを過ぎて先頭に立ったハーツクライに追いつくことなく、ディープインパクトは初の黒星をつけてしまいました。
これまで築き上げてきた無敗伝説が、崩壊した瞬間でした。
ただ、有馬記念にこそ敗れてしまいましたが、クラシック三冠達成を含む2005年の実績は疑いようもなく、ディープインパクトはその年の年度代表馬に選出されました。
2006年も、有馬記念の敗北が嘘だったかのように阪神大賞典・天皇賞(春)・宝塚記念とディープインパクトは勝ち続けます。
もはや国内に敵はいないのではないかと囁かれる中、ディープインパクトのフランス凱旋門賞への出走が発表されました。
幾度となく阻まれた世界の壁を、ディープインパクトが壊してくれると誰もが信じて疑いませんでした。
それでもやはり世界の壁は厚く、結果は3着。
「ディープインパクトを以ってしてもダメなのか…」と、日本中が落胆したのは言うまでもありません。
さらに帰国後、優勝を逃したショックに追い打ちをかけるような事実が判明します。
凱旋門賞後に行われた検査で、ディープインパクトから禁止薬物が検出されたのです。
これにより凱旋門賞3位入線は取り消し、失格となってしまいました。
この失格がファンに与えた影響は大きく、2006年の有馬記念ファン投票数が前年に比べて約25%も減ってしまったほどです。
マイナスイメージを払拭するには、ディープインパクト自身が勝って強さを証明するしかありませんでした。
帰国後1戦目となるジャパンカップは、絶対に負けられない戦いとなりました。
スローペースでレースが進む中、最後方に控えるディープインパクトはラスト直線で得意の追い込みを見せると、2着と2馬身差をつける快勝。
改めてファンに強さを見せつける結果を出し、汚名返上を果たしたのです。
しかし、引退レースとなる有馬記念に昨年ほどの熱気はなく、16万人動員した観客も11万人に落ち込んでしまいました。
嫌なムードが残るなか、彼は引退レースを戦わなくてはなりませんでした。
応援してくれるファンの為にも、無敗の三冠馬の名誉にかけても、3度目の敗北はあってはならなかったのです。
そんなプレッシャーを背負いながらも、ディープインパクトは王者らしい強さを見せつけてくれました。
大外を通って一気に直線へ出ると、先頭と並ぶ間もなく猛進。
最後は流したまま2着と3馬身差、まさに余裕の勝利でした。
この有馬記念勝利で通算G1勝利7回という中央競馬の最多タイ記録を達成し、ディープインパクトは2年連続の年度代表馬に選ばれたのです。