ゼンノロブロイの基本情報
馬名 | ゼンノロブロイ |
生年月日 | 2000年3月27日 |
引退 | 2005年12月25日有馬記念(G1) |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ローミンレイチェル |
戦績 | 20戦7勝(7-6-4-3) |
調教師 | 藤沢和雄 |
馬主 | 大迫久美子 |
産地 | 白老町(白老ファーム) |
善戦の域を脱せなかった馬が成し遂げた秋の栄光
2004年、秋古馬三冠(秋の天皇賞・ジャパンカップ・有馬記念)制覇という栄光を掴み、年度代表馬にも選ばれたゼンノロブロイ。
この功績から負け知らずだと思われているかもしれませんが、実はそうではありませんでした。
遡ること2003年5月、東京優駿(日本ダービー)のトライアルレースである青葉賞で重賞初制覇を達成しデビュー4戦で3勝を挙げたところまでは良かったのですが、本番の日本ダービーでは2着に終わってしまいます。
次走の神戸新聞杯では1着に返り咲いたものの、そこまででした。
以降は、先に行っては差され、後方から行けば逃げ切られるという、勝ち切れない結果が続くことに。
菊花賞では初めて馬券を外す4着、続く有馬記念でも3着と、大舞台で力を発揮できないままゼンノロブロイはクラシックシーズンを終えてしまったのです。
2004年に入っても、善戦むなしく勝てない状況は変わらず。
秋初戦の京都大賞典では1番人気に推されるも2着に終わってしまいます。
気が付けば、ゼンノロブロイは1年前の神戸新聞杯から一度も勝っていませんでした。
すっかり「1着にはなれないけど堅実に走る馬」というイメージが板についてしまったゼンノロブロイ。
そんな馬がこのあと突如G1を3連勝することになるなど、誰が想像できたでしょうか。
覚醒の始まりは、2004年10月31日の天皇賞(秋)。
有力馬が軒並み出走を回避した為、ゼンノロブロイの人気は押し出されての1番でした。
信頼されての人気とは言えませんでしたが、ゼンノロブロイは期待以上の走りを見せました。
最速の上がりをマークし、見事に勝ち切って1年ぶりの勝利を手にしたのです。
先に行っては差され、後方から行けば逃げ切られる…そんな展開が続いていたのが嘘かのような見事な末脚でした。
続くジャパンカップでも、ゼンノロブロイは2着を3馬身差で突き放しての圧勝。
国内馬だけでなく、海外馬をも蹴散らしました。
この勝利でゼンノロブロイは古馬二冠を達成。
有馬記念制覇への期待が高まらないわけありません。
そして、迎えた有馬記念。
ゼンノロブロイの人気は1番。
これは天皇賞(秋)のものとは違い、彼の実力と実績が認められた証でした。
レースは、逃げるタップダンスシチーを2番手から追う形で始まります。
ゼンノロブロイは粘るタップダンスシチーとの差をじわじわ詰めると、ラスト100mほどで抜き去り1着でゴール。
コースレコードで優勝という見事な戦いぶりを見せました。
天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念を同一年で連覇し、秋古馬三冠を成し遂げたゼンノロブロイ。
この偉業達成により、2004年の年度代表馬に選ばれたのです。
ゼンノロブロイの年度代表馬受賞は、サンデーサイレンス産駒として初めての受賞でもありました。